BABELとか

この世で最も恐ろしいのは人の心だ。
だから悪魔は人の顔をしている。

BABEL

話題作、見てきました。


ロッコ、メキシコ、日本で繰り広げられる愚行の数々。
ちょっとソレは馬鹿すぎやしないかと言うくらいおバカな行動のオン・パレード。
表題どおりに「結局、人間は判り合えない」とのことを表現できた映画だと思えます。
馬鹿ばっかり。
メキシコ篇で乳母さんが「How stupid!」と叫ぶけど、うん、この映画に出てくる人達みんな「stupid(愚か)」だと思うですよ。


ところで、メキシコ篇で子供二人と叔母さんを車から降ろして走り去ったサンチアゴは、その後どうなったんだろう?
とても心配。
サンチアゴ役のガエル・ガルシア・ベルナルはマジでカッコいい!!。


あと、モロッコ篇でライフルで人を誤射してしまったユセフのお兄ちゃん(アフメッドと言うらしい)。
最後、お兄ちゃんが警察に撃たれたことでユセフは「お兄ちゃんを助けて」と言いながら、警察に投降するわけですが、いや本気で「お兄ちゃんを助けてあげて」。
このお兄ちゃん、何にも悪いことしてないのに、とばっちり受けて撃たれた所で映画終了。


ええええええっ
お兄ちゃんはどうなったのっ!?
このままじゃお兄ちゃん可哀そう過ぎるでしょう。


愚かな者は愚かなまま生き残り、愚かな行動を取らなかったお兄ちゃんは生死不明という、なんとも消化不良な終わり方でありました。

SAW3

DVD借りて見ました。
1⇒2⇒3とだんだん判りにくくなっていくこの映画。
そこがイイ!


映画の冒頭は、SAW2でジグソウの後継者として描かれたアマンダのゲーム。
見ればすぐに判るけれど、そこに哲学は無い。
アマンダは神にでもなったつもりと言うところでしょうか。
見ていて凄く気持ち悪くなれるはずです。


後半はジグソウのゲーム。
ジグソウの台詞「私は殺人を憎む」がナイス。
ジグソウの台詞を補完すると「苦しくとも賢くあれば殺人など必要ないハズだ」と言うこと、なのかなと勝手に妄想。


また、リン先生がジグソウを評して言った「モンスター」はまさにその通り。


今回の映画のキーワードになるのは「forgiveness(赦しの心)」と「vengeance(復讐の心)」。
「forgiveness」を持てれば生き残り、「vengeance」を持つから死ぬ。


判っていても「forgiveness」を持てないのが人間。
判っていても「vengeance」を持ってしまうのが人間。
だからこそ、人間は怖いものなのだけれど、そのどちらも持ち合わせていないようなジグソウのモノ言いは、何と言うか人間味を失った「モンスター」そのものでした。


真に危険なのは、恐怖に狩られた暴徒よりそれを冷静に見ていられるヤツの方。
そういう映画。

ファイナル・デスティネーション

前にも書いたけれど、人間以外の何者かを出して観客を怖がらせようとする映画は大嫌い。


そういった意味で、この映画。
怖がらせようとしていない=笑わそうとしているので、まあイイかな。
他人の死を笑うというのはあまり褒められたことではないので、苦笑いするしかないんだけれど。


この映画に関しては、wad氏の映画論評が参考になりました。
wad氏曰く(引用元

オーメン』に代表される、超自然的な力によって人が殺されていく映画では、人間は(やはり超自然的な力によらない限り)死を回避することはできない。このため、映画の焦点は「誰がいつどのように死ぬか」という点にのみ置かれる。

逆に『13日の金曜日』のように殺人者が人間の場合「人がどのように死を回避しうるか、という点に焦点がシフトする。」


私は、「不幸をどのように回避するか」と言うテーマが好きなので、この映画のラストはとてもいただけないものでした。

ドッグヴィル

「権力は常に濫用される」


徹底的に人間は悪いものであると言う前提に立って作られた映画。
映画全編に悪意が満ちていると思う。
だからこそ、面白い。


私の映画遍歴のTop10に入りそうな良作だけれど、別な言い方をすれば「問題作」。


性善説の人にはオススメしないけれど、私が性善説じゃないと言うわけでもないので誤解なきように。
あと、映画が全体で3時間以上あるので、倍速再生が出来ない方にはオススメしないです。

マンダレイ

ドッグヴィルの続編。
ドッグヴィルより判り易くなって、商業的には成功しているのかもしれない。
ただ映画のインパクトはドッグヴィルと比べ物にならない。


ラース・フォン・トリアー監督作品は「ダンサー・イン・ザ・ダーク」から見ているわけですが、テーマ的には「ドッグヴィル」がヤバイけれど、商業的なものとかそんなものまで含めると「ダンサー・イン・ザ・ダーク」が一番情緒的で面白いかな。