こども
「幸せのちから」を見てきた。
個人的採点は、優・良・可・不可で言えば「良」。
ガゼッタ風に採点するなら、6.0。(6.5はあげない)
元タイトルは「Pursuit of Happyness」。
これを「幸せのちから」と邦訳したのは失敗だと思いました。
じゃあ、代わりに何と訳すれば良かったかと聞かれると、私にも判らない。
あるいは、いっそ「幸福の追求」で良かったんでないの。
映画の中でも繰り返し出てくるけど、「Happyness」は「Happiness」のミススペル。
でも、これは今思い出してみるに、ウィル・スミス演じる主人公クリス・ガードナーが「ちゃんと教育を受けた人間ですよ」と言うことを示すためのエピソードではないだろうか。
映画の中では「Happiness」のスペルを間違える中国人女性が出てきて、主人公は決してこの女性を快くは思っていない。
『「Happiness」のスペルを間違える人間に子供を預けること』を嘆くシーンが有るけれど、「俺はこんな教養の無い連中とは違うんだゼ」とその女性を見下している話なんじゃないか。
…と思ってみたり。
映画の骨子は、実際GRCと言う会社のCEOになったクリス・ガードナーの「昔は俺もこんな苦労をした」という、苦労自慢。
にしか、見えなかったんだ。この映画のファンだった人、ごめんなさい。
もちろん単なる苦労自慢映画なら「良」とは評価しないわけです。
また、そんな映画なら何もアメリカ人の話なんかじゃなくて、二宮尊徳の伝記でも見てればよろしい。
この映画の唯一にして最大の落としどころは、ウィル・スミスの実子が演じた息子クリストファーの存在。
どんなに苦労があっても「お父さんについて行く」息子の存在がいじらしくて、愛らしくて。
そんないじらしいクリストファー・ガードナー(本名もクリストファー・スミス君なんですな)を見ていると、息子に苦労をかける主人公のクリス・ガードナーに腹が立ってきました。
苦労自慢している場合じゃないよ。子供に住む場所くらい与えてやれよ。
だいたい、結構な苦労話だけど、よくよく考えると半年くらいの短い時間の苦労でしかないわけで。
確かに子連れでは大変だったかも知れないけど、このくらいの苦労をもっと長いスパンでやっている人は日本には結構居ると思うし、途上国に行けばもっと過酷な状況からのし上がる人とかも居るでしょう。
いくつかのエピソードは私自身にも記憶があって…
この話は、書くと自分の苦労自慢になっちゃうから年を取るまで封印。
物語のフォーカスは父親の「幸福の追求」に当てられていて、息子の「幸福の追求」が映画の中ではあまり表現されていなかったように感じました。
あるいは「息子のために頑張るんだ」というエピソードが少なすぎたのかもしれません。
結局、トレーダーになろうと思った原因は「トレーダーたちが儲かってて羨ましかったから」に尽きてしまうわけで。
だもんで、自分の勝手な夢を追いかける父親がものすごくワガママに見えて仕方が無かったです。
もっと、子供にフォーカスして映画を作ってもらえたら楽しめたかもしれません。
ストーリー以外の部分では、展開はテンポよく、だらだらとした状況説明などは簡潔に済ませていて、途中で眠くなるような要素は少なかったです。
柳沢伯夫厚生労働相
ああそうか、厚労相ってことは、うちのトップになる人なのね。
例の発言を引用すると。
柳沢厚労相は少子化対策に言及する中で「15から50歳の女性の数は決まっている。生む機械、装置の数は決まっているから、機械と言うのは何だけど、あとは一人頭で頑張ってもらうしかないと思う」などと述べたという。(毎日新聞1/28)
同じ厚労省がらみの人間として、陳謝するしかないです。
この発言は、ダメダヨ。
問題点その1:「女性を人間としてみていない」
これはその通り。
柳沢厚労相に弁解の余地は無いです。
強いて言い訳するなら、
- 「女性は生む機械以外の何者でも無い」という発言をしたわけでなくて、「女性は人間であるという前提の下に、人間を再生産する装置という側面も備えている」という意味で機械を例えに出したのだ
とか何とか言えるかも知れないけれど、まさにそれは言い訳。
たとえば、例の発言は、
- 15から50歳の女性の数は決まっているのだから一人頭で頑張ってもらうしかないと思う
と「機械」を外してもちゃんと説明できるので、柳沢厚労相に女性を人間以外の何かに置き換えても済むという一面があったことに間違いは無いのだ。
でもこの問題点その1への批判については、2つの短絡があると思う。
- 「女性は生む機械以外の何ものでも無い」と言ったと思い込む短絡
- 「柳沢厚労相は女性を人間以外の何かと思っている」と思い込む短絡
どちらも「そういう側面がある」と言う意味で理解するべきじゃないかな。
そうして「そういう側面がある」というだけで、柳沢厚労相は責められていいと思います。
問題点その2:「本当に一人頭で頑張ってないの?」
この点を言う人が居ないので、誰か調べてくれないかな。
どうも政治家のセンセイがた、女性の合計特殊出生率が1.26と言うのを聞いて、
- 「結婚した多くの女性が1人だけ子供を産み、一部の女性が2人産んでいる」
と勘違いしていないかな。
あるいは
- 「結婚すれば、当然のように女性は子供を生む」
と勘違いしていないかな?
だからこそ、「一人頭で頑張って」なんていう問題発言が飛び出すんではないかと。
この点については、子供を持つ世帯は2人以上の子供を持つことの方が多い。
ことを、まず指摘しておこう。
母子・父子家庭に関する統計しか咄嗟に見当たらなかったけれども、実は2人以上の子供を持つ世帯は1人しか子供を持たない世帯よりも多い。
子供を持つ世帯に限って言えば世帯出生率は1.7前後になる(手に入った資料での手計算)。
つまり、結婚しても子供を持たない家庭がかなり多いのだ(詳細は省くけど3割くらいは居るんじゃないかと)。
このことを無視した発言だと思うのですよ。
子供を持っている世帯は、十分にもう、子供を持っている。
すでに3-4人の子持ちのお母さんに「一人頭で」もう一人子供を…、なんて、ものすごくナンセンスじゃない?
結局のところ、柳沢厚労相が「一人頭で…」というのは女性を均質な何か(つまりは生む機械)として見ていることの裏返しなんだけど、それはつまり、物事の本質を捉えてないってことなんじゃないかと。