きれいな言葉って何?

RED STONEでハノブで見つけた露店看板に書かれていた文。


梶原しげるの本「そんな言い方ないだろう」という本には、「正しい言葉」とは別に「きれいな言葉」があると書かれている。
この本の中では、「文法的には正しくても」「受け取る側に『きれいだ』と思わせない」言い回しや、言葉使いにフォーカスを当てて書かれている。


『きれいだ』というのは非常に主観的な基準で、割と共通項の多い「正しい」という感覚とは大きく異なっている。
きれいの基準は人によって違うし、きれいなことを嫌う人もいる(「小奇麗にしやがって」とか言う言い回しもある)。


言葉は人の口から外に出て行くもので、他の人に受け取られる為にある。
受け取った人はその言葉を元に、相手を測る。
ちょうど「服装」と同じで、相手はそれを見てその人となりを測る。


だから、自分がきれいだと思う言葉を使うことは大事なことだと思う。
仕事の時には仕事のときの服装があり、見ず知らずの人に会ってもかまわない格好があるように、見ず知らずの人に聞かれてもかまわない言葉もある。
と思う。


もうひとつ。
たとえば服装なら、肌の露出の多い洋装をみて「きれいだ」と思う人も居れば、全体を覆い隠す和装を「きれいだ」と思う人も居る。
ここで思うのは、こうしたきれいの基準は、その人の住む社会に拠るんじゃないかということだ。


また、「きれいな言葉」では無くて「格好いい言葉」や「かわいらしい言葉」、「威勢のいい言葉」、「強そうな言葉」など、色々な言葉使いがあるのだけれども、これらの言葉はそれぞれに対応する服装とともに、やはり、その人がどの社会に属しているかを示すモノであると思う。
あるいは、どの社会に属しようとしているのかを示すモノかも知れない。


さて、冒頭の問い「きれいな言葉って何?」に対する回答だけれども、これは「自分がきれいだと思う言葉」だといえるだろう。
自分の判断で決めていいと思う。


それを相手は「きれいだ」とは思ってくれないかもしれない。
でも、そういう人たちと仲良くする必要はないと思う。
きっとその言葉を「きれいだ」と思う人がどこかに居るだろう。
だから、そういう人たちとコミュニティを作っていけばいいと思う。


自分で決めきれないなら、自分が「きれいだ」と感じたほかの人の言葉を真似すると良い。
服装だってそうするだろう。
あるいは「こうなりたい」と思う人の真似をするものかも知れない。


「きれいな言葉」とはそういうものだと思う。